あーあー。

「酒をしたたか飲んで倒れるように眠った翌朝、五感レベルでの気持ちのよい達観がとても自然な形で訪れることがある」と、僕は発言する。
押切もえは、四つん這いになっている僕の肛門に尖らせた舌を挿し込んで、必死に出し入れしている。
「不安や恐怖がなく、世界を埋め尽くしているひとつひとつの色彩や動き、曲線や音などから、心地よい悦びを汲み上げることができる時間だ」と、僕は続ける。
山田優は、僕の睾丸を口に含んで、舌の上で転がしている。
「そういうときは、だから、道で拾った名前の分からない甲虫の死骸なんかを、いつまででも、いつまででも眺めていたくなる」
佐田真由美は、歯がすべて抜かれた口の中に僕の陰茎を含んで、舌でしきりになぞっている。
「身体の表面を彩るエナメル質の光沢や、虚空の何かを必死につかんだまま固まった足なんかが、とても気に入ってしまって、手離せなくなってしまうんだよ」
浜崎あゆみは、完全に壊れきった機械そのものの声で「カレハさんは天才、カレハさんはカッコイイ」と僕の耳元で囁きつづけている。

平和な21世紀で、いつも通りのキチガイ沙汰だ。
僕は、車の助手席に座るたびに、女の生首が足りない、と思う。
生首の顔を股間側に向けて股に挟み、ドライブの間中、しゃぶらせておくのに必要なのにな。

概ね、そんなところだ。
みんなはどうか知らないが、僕はそう思うんだよ。

で、続・粕谷栄市詩集を再読する。
以前、粕谷栄市詩集を読んだ時は、アンリ・ミショーの劣化コピーを読まされているようで、あまり感心しなかったが、
確か、数ヶ月前あたりに出た、これを読んで、久々に戦慄を覚えるところがあったのだ。
ミショーを越えたイメージが散見される、ということの素晴らしさ。

酒を飲みながら、この詩集と去年のキャンキャンの12月号とを交互に繰り返し繰り返し眺めてればいいんだ。
なにも難しいことはないはずだ。