川田絢音、その13

「ガラス窓を飲んだ女は夜明けの発作をおこして指先までわななくだろう」川田絢音「空の時間、13」


空の時間の中でもとりわけ好きな一篇。
通常、人は、時代と文化に依存した記号的な見方によって視野内の事物を区分し、意味付けて生きているが、時折、現実に目覚めてしまうことがある。
この詩は、風景あるいは外界の象徴であるガラス窓を飲むことによって、つまり、記号的な見方を一切排除することによって、現実への過度な覚醒を得た、そういう事態を表している。
そのために、自身が一切であるという真理に気づいてしまった女は、絶句し、指先までわなないているのである。
夜明けがそのような事態を招きやすい時間帯であることは、僕たちが日常でもよく経験しているから、理解しやすいのではないだろうか。
例えば、オールナイトの映画館から出たばかりの風景や、徹夜のマージャンの後で雀荘から出たばかりの風景なんかを考えるとよいと思う。
あなたがモグラであるなら、うっかり朝に穴の外に出てしまったときのことを思い浮かべて。そう。そんな感じ。
「飲んだ」の部分が、「飲み込んでしまった」とか、「飲み干した」とかでないのは、主体の能動性と受動性とをはっきりさせたくない詩人の意図によるが、この経験が「能動/受動」の区分を越えたところにあることを鑑みれば、当然と言える。