異種混合鼎談

ソクラテス  お二人は、なにをしているのですか。

升田幸三  誰だ、きさま?

田中裕明  ソクラテスさんですよ。哲学者です。生前住んでいた家に全集があります。「悉く全集にあり衣被」です。食べたい。食べたい、と思うと、衣被がこんなところに。おかしな世界です。

升田幸三  お前は将棋中に俳句を口ずさむ癖はなんとかならんのか?

田中裕明  なりません。こればかりは、なんともなりません。

ソクラテス  やあ、美しい木片だ。なにやら字が書いてある。おや、裏にも?

升田幸三  こら、対局中の駒をめくるな。馬鹿もの。

ソクラテス  なにやら怒っていらっしゃる。

升田幸三  将棋を知らないのか。

田中裕明  ソクラテスさん、将棋とは、日本のゲームです。種類ごとに様々な動き方をするこの駒を対局者が交互に動かして、相手の王を捕まえるゲームです。「洪水の光に生れぬ蠅の王」、高野ムツオ氏の句です。

升田幸三  なんじゃと?それは、将棋の句じゃないか!金や銀の金気駒による、めまぐるしい波状攻撃に追い回されて、逃げ回る王を蠅に例えた句に間違いないぞ!そういう句を口ずさむ分には一向に構わん。

ソクラテス  これが王ですか。いちばん大きいようですね。王らしい風格がある。斜面のある五角形が映える。

升田幸三  そっちは「玉」じゃ。わしとの対局で、王がお前らの自陣に置かれることは一生ないじゃろう。

田中裕明  一生、という言葉がこの世界に於いてどのような意味を持つのか、私には分かりかねることではありますが。私たちはもはや生者ではないのですから。「天空は生者に深し青鷹」、宇多喜代子氏の句を思い出します。

ソクラテス  おお。それは、とてもよい俳句です。死者の上下に拡がる天空は、深さという概念とはどうも相容れないようだ。どちらかといえば、濃度の問題のような。天空の濃度、薄いというべきか、濃いというべきか……。

田中裕明  空へゆく階段のなし…、か。

升田幸三  お前ら、対局中に天ばかり見上げ下げするな馬鹿者。盤面に意識を沈めろ。そんなことでは、いつまでも六枚落ちのままだぞ、田中。

田中裕明  羽生先生が、盤面を大海原に例えていましたね。「ささ波は鱗のかたち夏来る」、平松邦芳氏の句や、「飛魚の波の穂を追ひ穂に落ちぬ」、原柯城氏の句など、海面を描いた句はみな意外と、将棋の盤面を描いた句と考えると面白いかもしれません。

升田幸三  ほお。羽生か。あいつはなかなか見所があるやつじゃったな。早くこっちへ来ればいいのじゃが。将棋を教えてやらないとな。

田中裕明  将棋の神様に角落ちの手合い、とおっしゃっていましたよ。

升田幸三  あいつの長所のひとつは、謙虚さも傲慢さも一切混じらぬ天性の正直、率直ぶりにある。その神と羽生の対局の棋譜をよこせ。

ソクラテス  寄附とは?何かお金を渡すわけですか。

田中裕明  棋譜です。対局の内容を一手一手記録したものです。そんなもの、ありませんよ。神との対局というのは、例え話ですから。では、ここで桂馬を跳ねることにします。「しづかなる力満ちゆきばつたとぶ」 、加藤楸邨の句です。

升田幸三  珍しく良い句じゃないか!それは、間違いなく桂馬を詠んだ句じゃ。桂馬をバッタに例えるとは、なかなか粋じゃないか。力を溜めて、満を持したタイミングで飛ばないと、確かにろくなことはない!バッタも桂馬も、不用意な高飛びは命に関わる!お前が今跳ねた桂と同じじゃ。

田中裕明  やはり、将棋の句でしたか。では、「草二本だけ生えてゐる 時間」、富澤赤黄男の句、はいかがでしょうか?

升田幸三  それは、へぼ将棋の端に残された香車二枚を詠んだ句じゃ、泣かせるな。香車の足下が虚しく風に吹かれておるわい。

田中裕明  だいぶ、調子が出て来ましたね。芭蕉の「道のべの木槿は馬に喰われけり」はいかがですか。

升田幸三  馬筋に歩があったんじゃろ。木槿は歩にちがいあるまい。一木に散らばってたくさん咲いているからの。馬筋を変えて、飛車かなにかに当てるついでに、歩を拾ったわけだ。芭蕉も、相当な将棋好きと見えるな。

田中裕明  「切株やあるくぎんなんぎんのよる」、加藤郁乎氏の句はどうでしょう。

升田幸三  歩く銀が難儀じゃと?難吟じゃな。銀は金と違って横に寄れないのが弱点なんじゃが、それを詠っているんじゃろう。銀がひとつ横のマスにゆくためには、二手かかるんじゃ。

ソクラテス  銀の横に寄れない性質と、切株の不動性と年輪から生まれる波紋の巧みな取り合わせ、なかなか深淵でいい句ですね。

升田幸三  お前は黙ってろ、ソクラテス。将棋の話に口を出すな。わしが大山に香車を引いて勝った棋譜をやるから、それでも並べて将棋の勉強をしておけ!(訊かれずに)なに?この将棋のポイント?そんなもん決まっとる、わしが勝ったということと、香車を引いたというところじゃ(※)。                           
ソクラテス  なにやら分からないが、ありがたいことです。大山とは?

田中裕明  大山康晴は、長い将棋の歴史の中でも、もっとも傑出した大名人です。「大山に脚をかけたる竈馬かな」、大屋達治氏の句にも登場しています。カマドウマは、升田先生のことですね。

升田幸三  だいせんじゃないわい。おおやまじゃ。天然ボケが時折混じるぞ、きさまは。それに、大山は大名人ではない。もし、そうならわしの肩書きが「名人の上」から「大名人の上」に変わってしまうではないか。中原のやつに渡したサインを書き換えにゃならん!かあちゃん、特製焼酎のお代わりじゃ!



※ 将棋世界1986年一月号より、一部引用。