山田亮太に――

小説のことばかり考えている。
日記は書かなくてもいいのだけれど、更新のための更新をする。なんでもいい。
2005年1月号の現代詩手帖について、書く。
手元に置いていないのがたたって参照できない人のために、身悶えるような苦痛のひとときを演出したいと願いながら、書く。
163ページを開くと、木原啓允という詩人の写真が載っていて、真っ先に感じるのは、この人が関根勤にひどく似ているということだ。
気になって追悼の記事の内容が読めないほどに顔が酷似している。ことによると、関根勤なのかもしれない。
さて、次。238ページに、この号の中でいちばん面白い詩が載っている。「カエル草原の拡張」という新人の投稿詩。
まず気になるのは、「山田亮太」という詩人の名前で、私は真っ先に南海キャンディーズ山里亮太を連想した。
以後私は、「山田亮太」の顔を、山里亮太の顔で思い浮かべることになる。
大いに気分を悪くして欲しいと言いたいところだが、私は山里亮太の顔が好きだから特に問題はないだろうと思う。
「また電子レンジが降ってくる。死体。」という秀逸な書き出しで始まる詩をおしまいまで読んで、爽やかな気持ちになった。
「乱暴で静謐な沸点を掴め」というこれまた秀逸なタイトルの選評の中で和合亮一は「特に最終部へ向かう辺りなど意味不明だが圧巻」と述べているが、こんなに分かりやすい世界はない。
飛び降りヤドカリが電線から次々に降ってくる詩を書いたことがある私は、「自動販売機の裏で飛び出しウサギたちがおびえている」ような世界に前々から親しんでいたし、このようなイメージのめまぐるしい展開こそが、加速した世界を静止したまま欲する私が望んでいたものだったのだ。部屋の中の椅子に座ったまま高速道路を走りたい私が望んでいたものだったのだ。
載っていない「カエル草原の完成」も読みたい。いつか、「カエル草原シリーズ」が詩集にまとめられることがあれば、真っ先に買いたい。
山田亮太のファンを名乗る私が詩集を待ちきれずに「カエル草原の再拡張」などを書くところを想像する。

冷蔵庫が降ってくる。凍死。
周期的なドアの開閉を合図に覗き見ヤマネたちがブーツから顔を出してキョロキョロ周囲をうかがう。
フロンガスを吸って育つ種類の植物が急速に成長する。枯れない。
過発達した花々が次々に破裂する。鋭い花びらが手裏剣になって人柱に刺さる。枯れる。
聴こえてくる悲鳴が聴こえる。聴こえてこない悲鳴も聴こえる。

100円の詩集を、またブックオフで買ってきた。「空とぶうさぎ〔車椅子のおしゃべり〕」という養護学校の子供たちの詩を集めたアンソロジーだ。
「森茂二郎様、ボニージャックス鹿島武臣」と筆ペンで書いてある。献呈らしい本がブックオフに並んでいると、つい気になってしまう。
詩の作者名のあとにカッコして(脳性麻痺)とか、(二分脊椎麻痺性偏平足)などと書いてある。変わった紹介だ。
僕も詩を発表する機会があれば、(小児性愛アルコール中毒を伴う妄想型分裂病変質者)とでも、名前の後に書こう。
今は、ジンを飲んでいる。ジンジャーエールで割って飲んでいる。これもまた勉強のためにブックオフで100円で買ってきた「カクテルハンドブック」には、載っていない。その代わり、ジンの項目をめくると、ジンとビールのカクテルが載っている。「ドッグズ・ノーズ」。犬の鼻。「犬の鼻!」。楽しい。
なんだっけ。障害児の詩だ。小林孝行という詩人の「巨人は強いなあ」という詩が好きだ。
「堀内は/投げるのが へただなあ/でも巨人は強い!」という最後の部分が特に好きだ。僕は野球観戦の趣味はないが、堀内という人の顔を見るのは割と好きだからだ。
僕はJ−POPを顔で聞く。同じように、詩も顔で読む。現代詩文庫も、詩人の写真を見てから読む。だから、詩人の顔写真や、経歴が書かれているのは嬉しい。