不可視の球審

河東碧梧桐と中塚一碧楼の自由律俳句をざっと眺めてみたい、という目的で注文した、新潮社「日本詩人全集30」が届く。俳人たちのアンソロジー
その中に、富田木歩の名前があった。
「我が肩に蜘蛛の糸張る秋の暮」なる、なにやら悲しい句だけを知っていた富田木歩、名前を「もっぽ」と読むと初めて知る。
病床で肩に蜘蛛が糸を張り始めても、じっと見つめるばかりで払わなかった人、というくらいの認識しかなかったが、可愛らしい響きの俳号とは真逆の壮絶な人生を送った人で、紹介がてらの「人と作品」によれば、「二歳のとき病のためいざりとなり」、「木歩は全く不遇の生涯を送ったひとで、四人の姉妹はことごとく苦界に身を沈め、ひとりの弟は唖で、つんぼ」と、容赦がない。また、年譜の九歳の項では、「不具のため学校へ行けず、近所の子どもとの‘学校ごっこ'や、叔母の手ほどきで懸命に文字を覚える」とある。学校ごっこ、という言葉がぐっとくる。
「歯を病みて壁に頬する春の暮」、歯の痛みにただ壁に顔を押しつけて耐えるしかない様子が伝わる。
「菓子買はぬ子のはぢらひや簾影」、友だちと駄菓子屋に遊びに来ても、お金がないので、すだれの影でもじもじしながらやり過ごしている子どもの姿を思い浮かべる。木歩は、妾となった二人の姉の援助により、駄菓子屋を開いていた時代もあったという。

生徒に猥褻行為を働く小学校教師のニュースを見ては、ユーチューブで「池沼 山手線」を検索すると出てくる動画を見ては、いちいち、「これはボクだ!」と思うわけだが、遮断機や鯖の缶詰なんかを見ていても「これはボクだ!」と思いかねないから、まったく話にならない。トウモロコシの芯を握った女子小学生と霧吹きを握った僕が戦い合う姿を目の前に幻視し、その架空の自分自身の後頭部を眺めているだけだ。山手線のホームを降りて、世の中への恨み辛みを叫びながら、バラストを投げる僕の姿を幻視し、その幻想の自分自身のうなじを思い描くだけだ。

私は眼前の光景に対して生まれ続ける仄かな衝動たちを見送り続ける。そして、その度に、背後にいる不可視の球審が、なんらかのジャッジを下すのを、寒気のように感じとる。