ロシア国籍の搾乳機

ダダナァ、ダダダダダダナァ、呼んだ(幻聴に対して)?呼んだよね(幻聴に対する念押し)?
今日はなにしよっか(宙への虚しい誘い)?
オフロスキー(実際は好きじゃない)の孤独な性生活について知りたいって(性癖暴露癖の衝動)?
お喋りなオフロスキー(実際は好きじゃない)にだって、語りたくないこともあるんだよ(性癖暴露癖の衝動の自制)。
え(相次ぐ幻聴に対して)?浴槽にお湯が張ってないって(相次ぐ幻聴に対して)?
ほんとだ(立ち上がるオフロスキー)!
濡れてないぞ(色盲検査表色の雲の柄の着ぐるみには牛の角が生えているぞ)!
なんだい(終わりなき幻聴に対して)?
いつもバスルームの片隅に横たわってるしましまのワニのぬいぐるみが気になるって(終わりなき幻聴に対して)?
あげないぞ(突如湧き上がる被害妄想)!
これは、大事なぬいぐるみなんだ(蹴飛ばされ、画面上から消えるワニ)!
さて、ワニもいなくなったし、死後硬直ごっこしようか(唐突で一方的な提案)?
よーし、負けないぞ(永眠憑依術の使い手であることの自負)。
仏壇に供えた雪兎、それがボク、オフロスキーさ(意味ありげな捨て自己紹介と共に終幕)。



* NHK教育テレビで月〜金曜日 午前 7:40〜7:55、再放送は午後 4:50〜5:05に放送中の「みいつけた!」にオフロスキーが出てくるよ。

教えて!パパ!!

「ねえ、パパ? 酔っ払いってなあに?」


酔っ払いはあらゆることを口実に飲み始める
気弱で傲慢なきっかけ愛好症
口から顔を出そうとするふさぎの虫を噛み殺しながら
万象相手に乾杯することで万障をひととき忘れる
足元の覚束ない立小便の使い手
千鳥足で描く即興劇の果てで
便座を枕に記憶を無くす
くたびれ果てた旅人



「ねえ、パパ? ロリコンってなあに?」


自身の幼年期への愛執の投影
すべての人間に潜む宮崎勤宮崎駿な側面
互いに直立して向き合えば
キミたち小悪魔たちは
ボクたち大きいおともだちたちの下半身に抱きつくしかないだろう
彼女たちのその蠱惑的サイズから呼び起こされる
暴力衝動と性衝動の混沌への戸惑いから
滲み出るあらゆる意味での先走り汁オーナー



「ねえ、パパ? 時ってなあに?」


時は鳥類だから腕組みをしない
くるっぽーと鳴いては人々の心をついばんでくる
全景を時計回りに見遥かす風見鶏たちは
決して孵らぬ希望の無精卵を産み落とし続け
あらゆる不毛な動詞を律儀につかさどるばかり
文字盤の上を永久に飛び交い続ける燕たちは
自分自身を追いかけ続け
卵が先か鶏が先かと虚空に問いかけるばかり



「ねえ、パパ? 神さまってなあに?」


神さまは熱狂的なサイン魔
色紙だけでなくあらゆる事物に自分の痕跡を残す
人見知りの人間好き
人目につかない場所で人目を気にしている無神論
空の賽銭箱に狙いをつけた賽銭泥棒のように
頭蓋の虚無を漁り続ける発光する手の残像
光と闇が器官の神さまは矛盾語法を振りかざし
世界の隅々に固有の症状を与え続ける

ウエディングケーキ VS 蟻10㍑ VS アリクイ一匹

夕飯時に電話が来る。登録していない番号。「もしもし?」
「もしもし、こちら、パソコンでランダムに検出した番号の方に、お電話させていただいているものなんですが」若い女の声が響く。
「はい、なんでしょうか?」
「関東在住の、三十代の社会人の方を主な対象として、お話をさせていただきたいのですが」
何も言わずに切ってやろうと思ったが、一杯機嫌なのが良くなかった。「関東在住の三十代ですね」
「あ、ほんとですか!」キンキン声が鳴り響く。「どこにお住まいですか?」
茨城県
「あー!私のおじいちゃんの実家ですぅ」おじいちゃん?セールスにしても、馴れ馴れしい。つうか、群馬県って言っても、ミネソタ州って言っても、精神病院210号室って言っても、コイツのおじいちゃんの実家になるんだろう。コイツのおじいちゃんは、おばあちゃんと共にあらゆる地域に蔓延っていて、のっぺらぼうのまま、出番を待っているというわけだ。
「そうですか」
「ねー、すごい、偶然ですねー」
「そんなことはないでしょう」今気づいたが、女の声の背後で、ずっとBGMが鳴り響いている。他の女たちの声も聴こえる。店でセールストークか。「つうかね、社会人じゃないよ、無職だから」
「えーっ!ほんとですか?しっかりした受け答えだから、社会人だと思っていました」
「はあ?そうですか」
「なんか、たくましいですね、すごい、いけますよ」たくましい?いけますよ?頭が湧いているのか?と思いつつ、少し微笑した。
「で、なんの用なの?」自分の吐く言葉が、無闇に砕けてきたことに気づく。
「あ、こちらはですね、関東在住の、三十代の社会人の方を主な対象として…」
「それ、聞いたよ」
「あ、そうですよね!すいません!私、舞い上がってるのかも!」
「うるせー、輪ゴムで打つぞ」
「えー、怖いー。おかしい人ですね、お兄さん」茨城県在住無職から、お兄さんへ異例の早さでの昇進。天皇への昇格も間近。皇居徒歩0分。
「つうか、早く言ってくれないかな、なんの話なの?」
「あのー、切らないでくださいよ、あの、私たち、東京で、ウエディングとジュエルの方のお店」
「ぐげー、ごめん、勘弁、切るよ」
「あー、やっぱ、そうなる感じですよねー、でもちょっと、待って」チーン。
脱力感と共に、後半うっかり楽しくなっていた自分に気づき、自己嫌悪。もちろん、その後泥酔。肴は、いつもの自己嫌悪と自己憐憫。という実話。ウエディングとジュエル。たまらない。輪ゴムの箱に忍ばせた、なとりのイカソーメンと、雨戸の戸袋で暴れ回る死にかけのカナブン、それだけが俺に必要なアイテム。つうか、若い女のセールストークって怖い。

100円ショップにずらりと並んだSMグッズの数々

少女が店に立っていれば、百円で買える、という意味だろう。
小さな剣山を胸に押しつけたい、トングで鼻を挟みたい、定規で頬を叩きたい、などと妄想しながら、
百円ショップを徘徊していると、小さな男の子に出くわす。
この際、この子でもいいや、と思っていると、無表情で商品の温度計を手の甲に押しつけてくる。
買ってくれ、という意味なのか、温度を計れ、という意味なのか分からない。
「今日は、暑いですね」と何故か敬語で話しかけてみると、お母さんらしき人の所へ走っていく。
お母さんがこちらを怪訝な表情で見る。
不審者扱いするのは俺がちゃんと正式な挙動不審をしてからにしてくれ、俺は平和に陰湿な妄想をしていただけだ、不審者がいるとすればお前の息子の方だ、温度計くらい買ってやれ、と矢継ぎ早に思う。

アル中徘徊中年が、今日も街を練り歩いていくぞ。今度出会うのはモニターの前のキミかもしれないぞ。秘密の肥溜めでボクとスカトロ握手。

鵜呑み祭り

また、鵜呑み祭りが始まる。
活字が見える、
活字の姿が一字ずつ見える、
動かない、
増えていくだけの活字が、
自分を見ろと要求してくる、
新聞紙の切れ端が社会の一角の襟首を掴んで運んでくる。
人が死んだと伝えてくるので、

人が死んだのか、と思う。
鵜呑み祭りには違いない。
白痴の眼、白痴の認識。
扇風機があるぞ、扇風機だ、扇風機だ。
回せ、回せ。
あっちには乾電池だってあるぞ、
乾電池、乾電池、握りたい、その温度を確かめたい。
太陽が照らして

いる自然が、あちらこちらで口を開けているぞ、
その半開きの眼に、
うっすらと焼き付けろ。
眼球トースターだ、網膜版画展覧会だ。
小石の大小を嗅ぎ分けて、犬が歩いてくるぞ。
あれは、犬だ。
犬のことを犬と呼んでみたい欲望

が顕著だ。
地面がただ足下に拡がるばかり。
これはなんと言ったろうか。
鵜呑みしたい。名付けたい。鵜呑みしたい。
足場から生えている一塊の廃人の、鵜呑み祭り。

不可視の球審

河東碧梧桐と中塚一碧楼の自由律俳句をざっと眺めてみたい、という目的で注文した、新潮社「日本詩人全集30」が届く。俳人たちのアンソロジー
その中に、富田木歩の名前があった。
「我が肩に蜘蛛の糸張る秋の暮」なる、なにやら悲しい句だけを知っていた富田木歩、名前を「もっぽ」と読むと初めて知る。
病床で肩に蜘蛛が糸を張り始めても、じっと見つめるばかりで払わなかった人、というくらいの認識しかなかったが、可愛らしい響きの俳号とは真逆の壮絶な人生を送った人で、紹介がてらの「人と作品」によれば、「二歳のとき病のためいざりとなり」、「木歩は全く不遇の生涯を送ったひとで、四人の姉妹はことごとく苦界に身を沈め、ひとりの弟は唖で、つんぼ」と、容赦がない。また、年譜の九歳の項では、「不具のため学校へ行けず、近所の子どもとの‘学校ごっこ'や、叔母の手ほどきで懸命に文字を覚える」とある。学校ごっこ、という言葉がぐっとくる。
「歯を病みて壁に頬する春の暮」、歯の痛みにただ壁に顔を押しつけて耐えるしかない様子が伝わる。
「菓子買はぬ子のはぢらひや簾影」、友だちと駄菓子屋に遊びに来ても、お金がないので、すだれの影でもじもじしながらやり過ごしている子どもの姿を思い浮かべる。木歩は、妾となった二人の姉の援助により、駄菓子屋を開いていた時代もあったという。

生徒に猥褻行為を働く小学校教師のニュースを見ては、ユーチューブで「池沼 山手線」を検索すると出てくる動画を見ては、いちいち、「これはボクだ!」と思うわけだが、遮断機や鯖の缶詰なんかを見ていても「これはボクだ!」と思いかねないから、まったく話にならない。トウモロコシの芯を握った女子小学生と霧吹きを握った僕が戦い合う姿を目の前に幻視し、その架空の自分自身の後頭部を眺めているだけだ。山手線のホームを降りて、世の中への恨み辛みを叫びながら、バラストを投げる僕の姿を幻視し、その幻想の自分自身のうなじを思い描くだけだ。

私は眼前の光景に対して生まれ続ける仄かな衝動たちを見送り続ける。そして、その度に、背後にいる不可視の球審が、なんらかのジャッジを下すのを、寒気のように感じとる。